聞き分ける心 ― 2022年03月13日
善悪を判断してあなたの民をさばくために、聞き分ける心をしもべに与えてください。さもなければ、だれに、この大勢のあなたの民をさばくことができるでしょうか。 列王記第一 3章9節
上記聖書箇所から、ソロモン王が神さまに求めたものが「善悪を判断してあなたの民をさばくために、聞き分ける心」だったことがわかります。そしてこのことは、「主のみこころにかなった」(列王記第一3章10節)ものであったと記されています。
そして、列王記第一3章16節以降、ソロモンに、確かに「聞き分ける心」が与えられたことを現わす具体的な事例が取り上げられています。ソロモン王は、ふたりの遊女のことばを、まさに適切に聞き分け、適切な判断を下します。そのことを列王記第一3章ではこのようにしめくくっています。
全イスラエルは、王が下したさばきを聞いて、王を恐れた。神の知恵が彼のうちにあって、さばきをするのを見たからである。 列王記第一3章28節
「善悪を判断」することについては、創世記3章に記されている通り、アダムとエバが罪を犯してしまって以降、人は、勝手に「善悪を判断してしまう」存在になってしまいました。ソロモン王の中には、そのような自覚があったからこそ、勝手に「善悪を判断して」しまわないように、神さまに「聞き分ける心」を求めたのでしょう。
現代の私たちは、ソロモン王が直面した情報よりも、多くの情報が日々目から耳から入ってきます。私たちは、日々情報の氾濫状態の中を歩んでいます。だからこそ、私たちにも「善悪を判断し」「聞き分ける心」が必要です。ソロモン王が、それを神さまに求めたように、私たちも「善悪を判断し」「聞き分ける心」を神さまに求めつつ、この情報過多の時代を「地の塩」「世の光」として歩んでいきましょう。
(吉持日輪生)
上記聖書箇所から、ソロモン王が神さまに求めたものが「善悪を判断してあなたの民をさばくために、聞き分ける心」だったことがわかります。そしてこのことは、「主のみこころにかなった」(列王記第一3章10節)ものであったと記されています。
そして、列王記第一3章16節以降、ソロモンに、確かに「聞き分ける心」が与えられたことを現わす具体的な事例が取り上げられています。ソロモン王は、ふたりの遊女のことばを、まさに適切に聞き分け、適切な判断を下します。そのことを列王記第一3章ではこのようにしめくくっています。
全イスラエルは、王が下したさばきを聞いて、王を恐れた。神の知恵が彼のうちにあって、さばきをするのを見たからである。 列王記第一3章28節
「善悪を判断」することについては、創世記3章に記されている通り、アダムとエバが罪を犯してしまって以降、人は、勝手に「善悪を判断してしまう」存在になってしまいました。ソロモン王の中には、そのような自覚があったからこそ、勝手に「善悪を判断して」しまわないように、神さまに「聞き分ける心」を求めたのでしょう。
現代の私たちは、ソロモン王が直面した情報よりも、多くの情報が日々目から耳から入ってきます。私たちは、日々情報の氾濫状態の中を歩んでいます。だからこそ、私たちにも「善悪を判断し」「聞き分ける心」が必要です。ソロモン王が、それを神さまに求めたように、私たちも「善悪を判断し」「聞き分ける心」を神さまに求めつつ、この情報過多の時代を「地の塩」「世の光」として歩んでいきましょう。
(吉持日輪生)
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