神さまが用意してくださる道は完全2022年02月06日

神、その道は完全。主のことばは純粋。主は、すべて主に身を避ける者の盾。
                       サムエル記第二 22章31節

上記聖書箇所と同じことばが、詩篇に記されています。

神 その道は完全。主のことばは純粋。主は すべて主に身を避ける者の盾。
                            詩篇 18篇30節

 日本語の表記上の違い(詩篇では、読点を記さない)はありますが、内容は全く同じ、原文ヘブル語も同じです。
 今回は、この個所の冒頭「神、その道は完全」について考えます。この詩は、ダビデ王が語っているものですから、「神、その道は完全」の中に込められている思いは、ダビデ王が歩んできた道です。ダビデ王が、エッサイ家8番目の末っ子として命を授かったことから始まって、羊飼いとして歩んだことも、竪琴奏者としてサウル王に仕えこと、ゴリアテを倒したこと。そしてサウル王にねたまれ何度も殺されそうになったこと、またヘテ人ウリヤの妻バテ・シェバのことで罪を犯したこと、さらに息子アブサロムに追われてエルサレムを出たことなど。神さまがダビデ王に用意してくださった一つ一つの出来事、その道が完全であったと、神さまをほめたたえているのです。
 ダビデ王の息子ソロモンは、このようにも語っています。

神のなさることは、すべて時にかなって美しい。  
                             伝道者の書 3章11節a

 また新約聖書では、パウロが、このようにも語っています。

神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。
                       ローマ人への手紙 8章28節

 神さまがなされることは、「完全」で、「すべて時にかなって美しく」、「すべてのことがともに働いて益となる」のです。
 今週も、その神さまが用意してくださる完全な道を、信仰をもって歩み進みましょう。 (吉持日輪生)

永遠に続く神さまとの契約2022年02月13日

まことに私の家は、このように神とともにある。神が永遠の契約を私と立てられたからだ。それは、すべてのことにおいて備えられ、また守られる。神は、私の救いと願いを、すべて育んでくださるではないか。    サムエル記第二23章5節

 上記聖書箇所冒頭の「私の家」とは、「ダビデの家」のことです。そしてダビデ王はこのように語ります。「神が永遠の契約を私(ダビデ王)と立てられたからだ」と。このことばは、今から3千年前に活躍したダビデ王が、栄華の極みの中で思い上がって語ったことばではありません。このことばが確かなものであったことは、「ダビデの星」を国旗の中に描いているイスラエルの存在が明らかにしています。もちろん今、存続しているからと言って、まだ「永遠」とは言えませんが、少なくとも現時点で約3千年続いていることは事実です。さらに近年のイスラエルの歴史をふりかえるならば、ナチス・ドイツによる激しい迫害があり、ユダヤ人は消滅させられそうになりますが、皮肉なことにイスラエルは今も存続し、ナチス・ドイツは消滅しています。
 ダビデ王の時代から400年後に活躍した預言者イザヤは、このように神さまの言葉を記しています。

耳を傾け、わたしのところに出て来い。聞け。そうすれば、あなたがたは生きる。わたしはあなたがたと永遠の契約を結ぶ。それは、ダビデへの確かで真実な約束である。                         イザヤ書55章3節

 また新約聖書には、このように記されています。

これこそ、御子(イエス・キリスト)が私たちに約束してくださったもの、永遠のいのちです。                  ヨハネの手紙第一2章25節

 永遠なる神さまと永遠に続く契約を結ぶ。それが「永遠のいのち」の一つの姿です。今週も、イエスさまのゆえに、永遠なる神さまと永遠に続く契約の中に置かれている恵みを覚えつつ、神さまに感謝して歩もう。        (吉持日輪生)

主の御業を自分の業と思う罪2022年02月20日

ヨアブは王に言った。「あなたの神、主が、この民を百倍にも増やしてくださいますように。わが主、王の目が、親しくこれをご覧になりますように。ところで、わが主、王は、なぜこのようなことを望まれるのですか。」 サムエル記第二24章3節

 上記聖書箇所と同じ内容を記している個所が、下記です。

ヨアブは言った。「主が、御民を百倍にも増やしてくださいますように。わが主、王よ。彼らはみな、わが主のもの、そのしもべではないでしょうか。なぜわが主は、このようなことをお求めになるのですか。なぜイスラエルに罪過をもたらされるのですか。」                       歴代誌第一21章3節

 サムエル記第二も、歴代誌第一も、「主」ということばが複数登場していますが、それぞれ冒頭の「あなたの神、主が」と「主が、御民を」の「主」は、新改訳2017では太字になっています。つまり聖書の神さまの固有名詞を表す「ヤハウェ」というヘブル語が使われています。それ以外は、ダビデ王のことを「主」と表現しています。
 ダビデ王の指示で民を数えたことが、なぜ罪とされたのか、なぜ災いを受けねばならなかったのか、明確な理由を聖書は記していません。しかし、ダビデ王自身が、「良心のとがめを感じ」「私は、このようなことをして、大きな罪を犯しました」(サムエル記第二24章10節)と告白しているので、やはりそこには「罪」があったのでしょう。
 ダビデ王が犯した「罪」を推測するのに参考になるのが、冒頭引用箇所のヨアブのことばです。「あなたの神、主が、この民を百倍にも増やしてくださいますように」(3節)。民を数えようとしているダビデ王へのヨアブなりのメッセージです。民が増えたのは、ダビデ王の業ではなく、神さまの御業であると気付いてほしかったのでしょう。私たちも良く陥る罪ですが、主(神さま)の御業を、自分の手柄のように考えてしまうことです。あなたが携わっている仕事の祝福も、家庭の祝福も、そして集っているこの教会の祝福も、人の手の業ではなく、100%神さまの御業です。ですから私たちにできることは、その主の御業を共に喜び、共に主に感謝することです。
 いよいよ来月末で2021年度が終わろうとしています。この一年の歩みをふりかえりつつ、ただただ神さまの御業に感謝と賛美を献げ、主の御業を共に喜びましょう。                            (吉持日輪生)

サムエル記→列王記2022年02月27日

ときに、ハギテの子アドニヤは、「私が王になる」と言って野心を抱き、戦車、騎兵、それに自分の前に走る者五十人を手に入れた。      列王記第一 1章5節

 今回から「列王記第一」です。実は先週取り扱った「サムエル記第二24章」で、「サムエル記第一」「サムエル記第二」を読み終えました。「サムエル記」は、預言者サムエルのもとイスラエルの王となったサウル王、ダビデ王のことが記されていました。そして「列王記」は、名前の通り、次々に立てられる王さま列伝となっています。この「列王記」も、1章ずつ読み進めていきましょう。
 さて今回上記に引用した聖書箇所に、「野心を抱き」とあります。サムエル記を読み進めていくと、ビデ王の子どもたちにも「野心家」と思える人たちが登場しましたが、「野心」ということばが使われているのは、この列王記第一1章5節のアドニヤだけです。
 アドニヤは、ダビデ王の四番目の男の子として誕生しています。サムエル記第二3章を読むと、ダビデ王の長男はアムノン、二男はキルアブ、三男はアブサロム、そして四男がアドニヤです。長男アムノンは、サムエル記第二13章に記されている通り、三男アブサロムの妹タマルのことでアブサロムに殺害されてしまいます。二男キルアブはその後聖書には登場しません、そして三男アブサロムは、記憶に新しいようにサムエル記第二15章でダビデ王に代わって王になろうとしますが、その企ては失敗に終わりサムエル記第二18章でダビデ王の軍隊長ヨアブによって殺されてしまいます。そのような流れの中で四男アドニヤは、「自分がダビデ王の後継者になる」という「野心」を抱くようになったのでしょう。しかし列王記第一1章を読むと、その「野心」は打ち砕かれ、神さまはソロモンをダビデ王の後継者として選ばれていきます。

あなたのわざを主にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画は堅く立つ。
                            箴言16章3節

人の心には多くの思いがある。しかし、主の計画こそが実現する。 
                            箴言19章21節

 私たちも「野心」を抱くのではなく、自分の歩みを「主にゆだね」「主の計画こそが実現する」ことを待ち望みつつ、今週も歩ませていただきましょう。(吉持日輪生)