「わざわい」の中での信仰2021年12月19日

アブサロムは、さばきのために王のところにやって来る、すべてのイスラエルの人にこのようにした。アブサロムはイスラエルの人々の心を盗んだ。
                         サムエル記第二15章6節

 サムエル記第二12章のダビデ王の罪から始まった「わざわい」は、ますます混迷を深めていきます。上記引用した通り自分の息子アブサロムに「イスラエルの人々の心を盗まれ」、ヘブロンでダビデ王に対する謀反が起こります。戦いに慣れているはずのダビデ王は、息子アブサロムとの争いを避け、速やかにエルサレムから逃げ出します。

ダビデは、自分とともにエルサレムにいる家来全員に言った。「さあ、逃げよう。そうでないと、アブサロムから逃れる者はいなくなるだろう。すぐ出発しよう。彼がすばやく追いついて、私たちに害を加え、剣の刃でこの都を討つといけないから。」
                        サムエル記第二15章14節

 そしてこのような「わざわい」の中、ダビデ王の心境というか、信仰が記されています。

王はツァドクに言った。「神の箱を都に戻しなさい。もし私が主の恵みをいただくことができれば、主は、私を連れ戻し、神の箱とその住まいを見させてくださるだろう。もし主が『あなたはわたしの心にかなわない』と言われるなら、どうか、主が良いと思われることをこの私にしてくださるように。」
                      サムエル記第二15章25~26節

 「主の主権」を認めるダビデ王のこの信仰は、ダビデの家系に生まれたイエスさまの父ヨセフにもつながっていることを、クリスマスだからこそ強く思わされます。

 彼がこのことを思い巡らしていたところ、見よ、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフよ、恐れずにマリアをあなたの妻として迎えなさい。その胎に宿っている子は聖霊によるのです。(中略)ヨセフは眠りから覚めると主の使いが命じたとおりにし、自分の妻を迎え入れたが、子を産むまでは彼女を知ることはなかった。そして、その子の名をイエスとつけた。 
                    マタイの福音書1章20~25節(抜粋)

 「わざわい」と思える状況をも、神さまの主権を認めて受諾していくダビデ王とイエスさまの父ヨセフの信仰を覚えつつアドベント最後の週を歩みましょう。
                               (吉持日輪生)

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://mikotoba.asablo.jp/blog/2021/12/19/9449160/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。