ダビデのように、イエスさまのように2021年10月24日

そして、あなた(ダビデ王)がどこに行っても、あなたとともにいて、あなたの前であなたのすべての敵を絶ち滅ぼした。わたしは地の大いなる者たちの名に等しい、大いなる名をあなたに与えてきた。          サムエル記第二 7章9節

 上記は、主(神さま)が、預言者ナタンに、ダビデ王に伝えることばとして語られた内容です。ですから「あなた」はダビデ王のことで、「わたし」は神さまのことになります。つまり神さまは、ダビデ王に「地の大いなる者たちの名に等しい、大いなる名を与えてきた」と言われています。
 この「地の大いなる者たちの名に等しい、大いなる名を与えてきた」という表現に似た表現が、聖書の中にあることを思い出す方も多いのではないでしょうか。それが下記に引用した個所です。

キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名を与えられました。                  ピリピ人への手紙 2章6~9節

 福音書では、イエスさまに対して「ダビデの子」と表現されているところがあるように、当時イエスさまのことをダビデ王と重ねて考える傾向が強かったのでしょう。この二者、すなわちダビデ王とイエスさまの共通点は、従順さです。「十字架の死にまで従われた」(ピリピ人への手紙2章8節)イエスさまには及びませんが、ダビデ王の歩みには「神さまへの従順さ」を見ることができます。
 今週、私たちもイエスさまにならい、またダビデ王にならい、神さまに対して、また神さまのなさることに対して、従順な歩みを重ねていきましょう。
                   (吉持日輪生)

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