日々の信仰生活、日々の信仰姿勢2021年10月17日

ダビデはミカルに言った。「あなたの父よりも、その全家よりも、むしろ私を選んで、主の民イスラエルの君主に任じられた主の前だ。私はその主の前で喜び踊るのだ。私はこれより、もっと卑しめられ、自分の目に卑しくなるだろう。しかし、あなたの言う、その女奴隷たちに敬われるのだ。」   
                    サムエル記第二6章21~22節

 上記に記したダビデの発言は、サムエル記第二6章20節に記されているサウル王の娘ミカルのことばに対するものでした。

ダビデが自分の家族を祝福しようと戻ると、サウルの娘ミカルがダビデを迎えに出て来て言った。「イスラエルの王は、今日、本当に威厳がございましたね。ごろつきが恥ずかしげもなく裸になるように、今日、あなたは自分の家来の女奴隷の目の前で裸になられて。」  
                    サムエル記第二6章20節

 ダビデは、「主の前だ」「主の前で」と発言しているように、主(神さま)と向き合っているのに対して、サウル王の娘ミカルは、「自分の家来の女奴隷の目の前で」と発言しているように、ミカルは「女奴隷」、つまり人を意識し、人と向き合っていることを読み取ることができます。
 そして、このミカルの傾向は、ミカルの父サウル王から受け継がれたものと想像します。例えばサムエル記第一13章に、サウル王が、預言者サムエルが来ない中、兵たちが離れて散って行こうとしているのを見て、焦り、不安になり、全焼のいけにえを預言者サムエルが到着する前に献げてしまう出来事が記されています。まさにこの場面でのサウル王も、神さまでなく、人を意識し、人と向き合い、失敗をしています。
 私たちの信仰が、日々の生活の中でどのように現れているか。それが、家族、子どもたち、への信仰継承に、また信仰姿勢に大きく影響するのでしょう。
 今週も、人ではなく、神さまを意識し、神さまと向き合い、日々の歩み、日々の言動を進めていきましょう。                  (吉持日輪生)

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