ダビデのぶれない姿勢2021年10月03日

ダビデは、ベエロテ人リンモンの子レカブとその兄弟バアナに答えて言った。「主は生きておられる。主は私のたましいを、あらゆる苦難から贖い出してくださった。かつて私に『ご覧ください。サウルは死にました』と告げて、自分では良い知らせをもたらしたつもりでいた者を、私は捕らえて、ツィクラグで殺した。それが、その良い知らせへの報いであった。まして、この悪者どもが、一人の正しい人を家の中で、しかも寝床の上で殺したとなれば、私は今、彼の血の責任をおまえたちに問い、この地からおまえたちを除き去らずにいられようか。」          
サムエル記第二4章9~11節

 上記聖書箇所の10節「かつて私に『ご覧ください。サウルは死にました』と告げて、自分では良い知らせをもたらしたつもりでいた者」の出来事は、サムエル記第二1章に記されていました。確かに今日の聖書箇所は、その場面とよく似ています。
 サムエル記第二1章の「若い者」も、そして今回の「レカブとバアナ」も、良いことをしたとダビデから評価され、自分たちの立場が守られ、ダビデから良くしてもらえると考えたのでしょう。しかし、ダビデの行動は、サムエル記第二1章でも、そして今回の4章でも同じものでした。そこに、ダビデのぶれない姿勢が、現わされています。
 ではなぜダビデが、ぶれなかったのでしょうか。その理由は、次のダビデの詩篇に見ることができます。

私はいつも 主を前にしています。主が私の右におられるので 私は揺るがされることがありません。                     詩篇16篇8節

 ダビデは、常に「主を前に」して対応しました。ですから、どのような人が目の前に現れても、その人の発言、行動に左右されることなく対応できたのでしょう。
 私たちも、目の前の人に目を向け過ぎてしまい、「主を前に」して行動できないことがあります。ですから今週こそ、常に「主を前に」しつつ、一つ一つの事柄に、また出来事に、ぶれることなく対応していきましょう。      (吉持日輪生)