主の視点で見る2021年07月18日

彼は部下に言った。「私が主に逆らって、主に油注がれた方、私の主君に対して、そのようなことをして手を下すなど、絶対にあり得ないことだ。彼は主に油注がれた方なのだから。」                
                         サムエル記第一 24章6節

今日、主が洞穴で私の手にあなたをお渡しになったのを、あなたの目はご覧になったのです。ある者はあなたを殺すようにと言ったのですが、私は、あなたのことを思って、『私の主君に手を下すことはしない。あの方は主に油注がれた方だから』と言いました。
                          サムエル記第一 24章10節

 先週取り扱ったサムエル記第一23章は、何をするにも神さまにお伺いを立てるダビデの姿が記されていました。そして今週の24章では、ダビデの命を狙い続けてきたサウル王を殺すチャンスがありながらも、「主に油注がれた方」ゆえに殺さなかったダビデの誠実な姿に目が留まります。
 ダビデが、このようにサウル王と向き合うことができた理由は、サウル王を「自らの命を狙っている者」として、ダビデ中心の視点で見ないで、神さまの視点「主に油注がれた方」として見ることができたからでしょう。

 「ダビデのミクタム」と記されている詩篇16篇で、ダビデはこのように詠っています。

私はいつも主を前にしています。主が私の右におられるので私は揺るがされることがありません。                      
                                 詩篇 16篇8節

 私たちも、目の前にある出来事、人物を、自分の主観で見て行動したり、対応したりするのではなく、神さまの視点で見ることができるならば、見えている風景は同じでも、受け止め方、行動、対応が変わることを、ダビデの姿から学びましょう。
 ダビデのように、「いつも主を前に」「主が私の右におられる」そのような思いで、今週も歩ませていただきましょう。 (吉持日輪生)