あなたにとっての「エベン・エゼル」2021年03月21日

サムエルは一つの石を取り、ミツパとエシェンの間に置き、それにエベン・エゼルという名をつけ、「ここまで主が私たちを助けてくださった」と言った。                  
                          サムエル記第一 7章12節

 教会でよく歌われる賛美の中に「望みも消え行くまでに」(聖歌604番)という賛美があり、その歌詞の一部に「数えよ主の恵み 数えよ主の恵み 数えよ一つずつ 数えてみよ主の恵み」とあります。「エベン・エゼル」の石は、それを見る者たちの心に「ここまで主が私たちを助けてくださった」ことを思い返し、感謝を献げる場所となったことでしょう。
 では実際、サムエル記第一7章には記されている「神さまの助け」はどのようなものだったでしょうか。「主の箱を運び上げ」(1節)とあるように「主の箱(契約の箱)」がイスラエルのキルヤテ・エアリムに戻ってきたこと。「箱がキルヤテ・エアリムにとどまった日から長い年月がたって、二十年になった」(2節)こと。また「イスラエルの全家は主を慕い求めていた」(2節)とあり、しかもその立ち返りは、さらに「もしあなたがたが、心のすべてをもって主に立ち返るなら」(3節)と語れる状況になっていたこと。そしてその語りかけに対してイスラエル人は、「『私たちは主の前に罪ある者です』と言った」(6節)と罪を認めるまでに至っています。
 「エベン・エゼル」の石に込められていた「ここまで主が私たちを助けてくださった」(12節)の中には、「罪の自覚」「罪の告白」まで助け導いてくださった思いがあったと考えられます。
 あなたの日々の信仰生活において、「エベン・エゼル」の石があるでしょうか。ぜひ、罪を自覚し、罪の告白に至る「石」を定めて、今週も歩ませていただきましょう。 (吉持日輪生)

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