クリスマスと正反対の状況だからこそ2020年12月20日

彼は自分の家に着くと、刀を取り、自分の側女をつかんで、その肢体を十二の部分に切り分け、イスラエルの全土に送った。それを見た者はみな、「イスラエルの子らがエジプトの地から上って来た日から今日まで、このようなことは起こったこともなければ、見たこともない。このことをよく考え、相談し、意見を述べよ」と言った。                
                         士師記19章29~30節
 
 クリスマス礼拝をお献げする日の聖書個所としては、全くふさわしくない個所ですが、このような私たちの罪深い世に「救い」が必要だからこそ、イエス・キリストが誕生したのだと強く、深く思わされます。
 上記聖書個所は、亡くなった側女の「肢体を十二の部分に切り分け、イスラエルの全土に送る」という衝撃的な出来事です。しかし、士師記19章には、不可解な人の行動がたくさん記されています。
①祭司の務めをするレビ人に側女がいること(1節)
②側女の裏切り(2節)
③側女の父の不可解な引き留め(4~9節)
④ギブアの人たちの恥ずべき行動(22、25節)
⑤旅人であったレビ人を守るための老人の行動(23~24節)
⑥レビ人の亡くなった側女と12部族への行動(26~30節)
 このようにどれを取り上げても奇異な内容となっています。人は、罪人だからこそ、自分の力で良い方向に進むことは難しいのでしょう。
 ですから私たちには、「救い主」「助け主」が必要なのです。前回と同じ結論ですが、私たちを正しい方向へと導いてくださるのは、王さまではなく、私たちの救い主であり、助け主であるイエスさまです。
 イエスさまを心にお迎えして、クリスマスを過ごしましょう。  (吉持日輪生)

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