混沌としていても「主の霊」は注がれる2020年10月25日

すると、アンモン人の王はエフタの使者たちに答えた。「イスラエルがエジプトから上って来たとき、アルノン川からヤボク川、それにヨルダン川に至るまでの私の土地を取ったからだ。今、これらの地を穏やかに返しなさい。」 
士師記11章13節

 士師記11章を読み進めていく中で感じたことは、ますます当時の社会状況が、混迷を深め、混沌としていく印象です。また上記聖書個所にあるようなヨルダン川流域の領土問題を読む時、そこには今日まで続くパレスチナ問題の根の深さを感じます。
 さてここに登場する「アンモン人」について、創世記にその始まりが記されています。

こうして、ロトの二人の娘は父親によって身ごもった。姉は男の子を産んで、その子をモアブと名づけた。彼は今日のモアブ人の先祖である。妹もまた、男の子を産んで、その子をベン・アミと名づけた。彼は今日のアンモン人の先祖である。  
創世記19章36~38節

 つまり「アンモン人」とは、アブラハムの甥ロトとロトの娘との間に産まれた子どもを始祖とする民族でした。ですからアブラハムを始祖とするイスラエルと、とても近い民族になりますが、時を経る中で、士師記11章に記されているように、敵対関係となっています。
 人間の罪深さ、そしてその人間の罪深さから生まれる様々な問題、課題。そのような混沌としている時代のさなかにあっても、士師として選ばれたエフタに神さまは、しっかり関わってくださっていることが、士師記11章には記されています。

主の霊がエフタの上に下ったとき、…そしてギルアデのミツパからアンモン人のところへ進んで行った。エフタは主に誓願を立てて言った。「もしあなたが確かにアンモン人を私の手に与えてくださるなら、   
士師記11章29~30節(抜粋)

 神さまは、エフタの上に「主の霊」を注ぎ、エフタも「主に誓願を立てて」います。私たちも、時代や、社会が、どんなに混沌としていっても、神さまからの聖霊を受けているクリスチャンとして、神さまに祈りつつ歩みましょう。(吉持日輪生)

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