神さまの御業を忘れない2020年05月24日

ヨルダンの川向こう、日の昇る方で、アルノン川からヘルモン山までの全東アラバにおいて、イスラエルの子らが討ち、占領した地の王たちは次のとおりである。                   ヨシュア記12章1節 

 上記聖書個所に「ヨルダンの川向こう、日の昇る方で」とあるが、ヨシュア記12章に記されている内容は、まさに「日の昇る」勢いのイスラエルの歩みです。さらにヨシュアがリーダーになる前のモーセの時のことも記されています。
 特に9節以降は、町の名前が「○○の王」という形で記されていて、最後の24節に「全部で31人の王である」とまとめられています。
 9節の「エリコの王」と聞けば、ヨシュア記6章を思い出しますし、また「ベテルの隣のアイの王」と読めば、ヨシュア記7章の「ユダ部族のゼラフの子ザブディの子カルミの子アカン」の過ちを思い出します。
 恐らく、ある時代までは、それぞれの町の名前を読むと、その町を攻め取った時の経験を思い出し、またその中で教えられた神さまからの訓練を想起していたことでしょう。そのようなことを思い巡らす時、伝道者の書や、詩篇の言葉を思い出します。

神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行うみわざの始まりから終わりまでを見極めることができない。             伝道者の書3章11節

わがたましいよ 主をほめたたえよ。主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。                         詩篇103篇2節

 このような聖書の信仰からすると、失敗も、成功も、計画通り進むことも、そうでないことも、「神さまがなされたこと」であり、「美しく」「良いもの」だからこそ、そこからたくさんのことを学ぶことができるのです。
 今週も、経験する一つ一つの背後に神さまを認め、「主の良くしてくださったこと」として、忘れないで、そこから様々なことを学ばせていただきましょう。                           (吉持日輪生)