かすかに、ほのかにしか見えない契約の箱2020年03月22日

民に命じた。「あなたがたの神、主の契約の箱を見、さらにレビ人の祭司たちがそれを担いでいるのを見たら、自分のいる場所を出発して、その後を進みなさい。あなたがたが行くべき道を知るためである。あなたがたは今まで、この道を通ったことがないからだ。ただし、あなたがたと箱の間に二千キュビトほどの距離をおけ。箱に近づいてはならない。」      ヨシュア記3章3~4節

 いよいよイスラエルの民が、ヨルダン川を渡り、約束の地に入るところです。民に対して神さまは、「あなたがたは今まで、この道を通ったことがない」からこそ、「主の契約の箱を見」て進むようにと促しています。
 「契約の箱」は、新約時代の私たちにとっては「聖書」でしょう。さらに私たちは現在、新型コロナウイルスの恐れの中で、「通ったことのない道」を歩んでいます。そのことを考える時、私たちにとっても「契約の箱」「聖書」を見て歩むことの大切さを教えられます。
 けれどももう一つ読み取るべき点は、「契約の箱」との距離です。「あなたがたと箱の間に二千キュビトの距離をおけ」とあります。「二千キュビト」とは、1キュビトが約44.5㎝ですので、計算すると約890メートルになります。その距離は、ちょうど教会近くのファミリーマートから高瀬川通りを阪急茨木市駅に向かい舟木町交差点までの距離です。また契約の箱の大きさは、長さが約1.1メートル、幅と高さは約67センチです。それを人がかついでも、ファミリーマートから舟木町交差点を見れば、本当に小さくしか見えないことでしょう。
 このことから何を読み取ることができるでしょうか。この距離は、「契約の箱」の圧倒的な聖さを現わしているのでしょうが、同時にかすかに、ほのかにしか見えない「契約の箱」を凝視し、その契約に立って前に進むことの大切さを教えられます。
 「聖書の約束」は、現在の新型コロナウイルスの情報に比べると、本当にかすかに、ほのかにしか見えない「約束のことば」に見えます。しかし、私たちは、神さまの民だからこそ、その「約束」をしっかりと見て、信頼して、通ったことのない道を前に進むのです。今週も、神さまの「約束のことば」から目を離さないで、前進しましょう。    (吉持日輪生)

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