キリストにある文化を創り出す共同体として2019年12月29日

そこには、ギリシヤ人とユダヤ人、割礼の有無、未開人、スクテヤ人、奴隷と自由人というような区別はありません。キリストがすべてであり、すべてのうちにおられるのです。   コロサイ人への手紙 3章11節
                     
 前回まで、キリスト教会が日本社会において取り組んできた文脈化について学んできました。そこには、日本の社会や文化を由来とする日本のキリスト教会独自の行事や儀礼が、教会暦(キリスト教会で用いられる暦、イースターやペンテコステ、クリスマスなどを含む)と組み合わされている様子を見ることができます。教会は、聖書に提示されている福音を保持しながら、日曜日の礼拝式を中心に、社会や文化への適応を進めてきました。人々の生活やライフスタイルは時代と共に常に変化していきますが、教会もその変化に合わせて、イエス・キリストにある文化や生活を創り出していく存在であると言えるでしょう。パウロとバルナバが活躍したアンテオケ教会では、ギリシヤ人をはじめとする異邦人への宣教活動とともに、周囲からクリスチャンと呼ばれる生き方(ライフスタイル)が生み出されました。茨木聖書教会はアンテオケ教会をモデルとして、この地域における宣教活動を進めながら、同時にキリストの教会として、イエスさまが私たちに願っている姿を求め続けていきたいと思います。
 昨年の3月から掲載を続けて来たバルナバコースの内容は今回で終了となります。全13回のコースの内容について連載してきました。来年度中にはコーステキストとして冊子にする予定です。テキストがバルナバコースの中で用いられ、グループや個人の学びで使われることを期待しています。バルナバをモデルとして、イエスさまの姿に近づいていくために、日々キリスト者としての成長を目指して歩んでいきましょう。(笠川路人)

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://mikotoba.asablo.jp/blog/2019/12/29/9195124/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。