奉仕についての聖書的理解2019年08月11日

そこで、弟子たちは、それぞれの力に応じて、ユダヤに住んでいる兄弟たちに救援の物を送ることに決めた。       使徒の働き 11章29節                                    
 バルナバとパウロの働きによって成長したアンテオケ教会の弟子たちは、「キリスト者(クリスチャン)」という名で呼ばれるようになります。クリスチャンと呼ばれた彼らが、初めて行った奉仕のわざは、飢饉に苦しむユダヤの弟子たちに対して、救援物資を送ることでした。アンテオケ教会は、バルナバを派遣したエルサレム教会に対する感謝を忘れることはありませんでした。さらに、13章においては、聖霊の導きによって、リーダーであったパウロとバルナバを宣教旅行に遣わしますが、まさに「受けるよりも与えるほうが幸いである。」(使徒の働き20章35節)という主イエスの教えを、体現する教会でした。奉仕とは何か、それは、主イエスの救いを頂いた者が、感謝をもって与える行為であると言えます。
 アンテオケ教会では、「それぞれの力に応じて」、ユダヤの弟子に対する救援を行いました。エペソ人への手紙4章には、奉仕の目的はキリストのからだを建て上げるためであり(12節)、一つ一つの部分(私たち)が、その力量にふさわしく働く力によって、成長していくこと(16節)が説明されています。コリント人への手紙第一12章においては、教会に対して身体のたとえを用いながら、ひとりひとりは各器官であり(27節)、それぞれに大切な役割を持っていることが書かれています。これらの聖書のみことばから、奉仕とは、神さまが一人一人に与えてくださった能力や賜物、経験を用いて、キリストのからだである教会を建て上げて、成長するために行われるものであることが分かります。キリストのからだである教会の必要と、私たちの能力や賜物が合致し、感謝をもって時間や労力を捧げることができるのが奉仕であると言えます。パウロは、「あなたがたは、よりすぐれた賜物を熱心に求めなさい。また私は、さらにまさる道を示してあげましょう。」(コリント人への手紙第一12章31節)と語りましたが、奉仕することを通して、神さまから与えられた賜物を熱心に求めていくようにと励まされています。次回は、奉仕をするにあたって、どのように賜物を求めていくか(探していくか)について学びます。(笠川路人)

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