「慰めの子」バルナバから学ぶ2019年07月07日

キプロス生まれのレビ人で、使徒たちによってバルナバ(訳すと、慰めの子)と呼ばれていたヨセフも、畑を持っていたので、それを売り、その代金を持って来て、使徒たちの足もとに置いた。       使徒の働き4章36~37節

 アンテオケ教会で活躍したバルナバの本名はヨセフであり、バルナバは、ヨセフの賜物であった「慰める」(原語では、ことばを持って励ます、勧める)行為が、そのまま呼び名となりました。次にバルナバが登場するのは、使徒の働き9章27節以降です。エルサレムの教会の仲間に加わることができなかった、回心直後のサウロ(パウロ)を引きうけて、使徒たちにパウロの回心を説明し、受け入れてもらうという重要な役割を担いました。この「引き受ける」という行為は、「助けるためにしっかりとつかむ、握る」という意味を持ち、恐らく時間をかけてパウロの過去をしっかりと聞き、何が起こったかを理解し、その回心を受け止めたのでしょう。このバルナバの「聴く力」によって、パウロは初代教会の中で、宣教の働きを始めることができました。
 異邦人に対する宣教を始めたアンテオケ教会に対して、エルサレム教会はお目付け役としてバルナバを派遣しました(使徒の働き11章19節以降)。バルナバは、回心した異邦人たちに対する偏見を持つことなく、救いの御業を喜び、ありのままを受け止めて、救いにとどまるように励ましました。「彼はりっぱな人物で、聖霊と信仰に満ちている人であった。こうして、大ぜいの人が主に導かれた。」(使徒の働き11章24節)バルナバの性格と人格が、アンテオケ教会のさらなる成長に貢献したことが書かれています。さらに、回心した多くの異邦人たちの教育のために、パウロを教師として採用し、共に弟子の教育に励んだ姿に、バルナバの謙遜さと知恵深さを見ることができます。
 最初の伝道旅行において、途中で離脱してしまったマルコにセカンドチャンスを与えたのもバルナバでした。マルコの処遇についてパウロと激しく反目した結果、パウロと別行動を取ることになったバルナバですが、失敗者を受け入れて、立ち直るための機会を与える心の広さを見ることができます。彼は、人のマイナス部分だけではなく、その人の成長の可能性を見出し、期待して信じる心を持っていました。マルコは後に、パウロも認めるほどに弟子として活躍し、マルコの福音書を著すこととなりました。「慰めの子」バルナバは、教会において、人を励まし、成長させるモデルです。バルナバの人々に関わる姿から学び、教会において共に生きる祝福を頂きましょう。(笠川路人)

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