神の家族を通して経験すること2019年06月09日

神のみこころを行う人はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。                   マルコの福音書 3章35節                                    

 キリスト教会では信徒同士を兄弟姉妹と呼び合いますが、弟子たちの群れに対して、「家族」という概念を最初に提示されたのは、イエス・キリストご自身です。(参照:マルコの福音書3章31~35節)イエス・キリストの福音を信じ、新しく生まれ変わった人は洗礼を受けることを通して、「神の家族」と呼ばれる教会のコミュニティに加わります。自分の家族以外に「家族」という人間関係を持つのは不思議な感じがしますが、クリスチャンが教会という「神の家族」を持って生きることには、神さまの目的があることを覚えます。それは、パウロがエペソ人への手紙4章で語っているように、私たち一人一人が「神の家族」を通して成長し、この世界において神さまの栄光を現わす存在となるためです。パウロはキリストのからだという例えを用いて、私たち一人一人が「神の家族」である教会の中で、成長していく姿について書いています。「ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。」(エペソ人への手紙4章13節)
 しかし、「神の家族」として兄弟姉妹と呼び合う深い交わりを持つがゆえに、私たちは自分自身の育った家族の価値観を「神の家族」に持ち込み、時には弱さや過去の傷、欠けた部分が教会の中に現れることがあります。互いに愛し合いなさいと命じられている「神の家族」の関係の中にも、人間関係の難しさや、なかなか愛することが出来ないという現実に直面することがあります。そのような現実に向き合う時、私たちは「家族」と定義した教会の交わりを通して、赦し合うことを学び、異なる価値観を受け入れ合い、互いに愛し合う訓練を頂いていると言えます。神さまのみこころは、「神の家族」との交わりを通して、私たちの内面(内なる人)が聖霊の働きによってキリストの姿に変えられ(コリント人への手紙第二3章18節)、その結果、私たち自身の家族(親や子供、兄弟姉妹、親族)の一人一人をより良く愛し、仕えていく者とされることです。教会を通して与えられている「神の家族」の交わりに感謝し、お互いの成長を励まし合って行きましょう。(笠川路人)

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