生産的な怒りのサイクル2019年04月07日

神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。                        詩篇139篇23節       
 「怒り」が自分自身の目的、価値、期待、自尊心のいずれかを侵害されたときに起こる感情の現れであるならば、私たちは「怒り」を通して侵害された「何か」について知ることができます。つまり、「怒り」は自分自身について深く考え、侵害されたくない何かについて知る大切な機会であるとも言えます。もし侵害されてしまった「何か」について理解が進むならば、再び侵害されることがないための行動に移ることができます。以下の図は、どのように私たちが「生産的な怒りのサイクル」を実現することができるかについて、具体的に説明しています。(右側が理想的なサイクルです)
 「生産的な怒りのサイクル」は、外側だけではなく、心の内側に向かう、内面的な怒りに対処することにも役立ちます。自分だけではなく周囲の人の「怒り」を理解し、知恵深く対処する助けにもなります。もちろん、全ての怒りのケースが「生産的な怒りのサイクル」のように対処していくことは難しいでしょう。しかし、「怒り」に向き合うたびに、私たちは自分自身と他の人についての理解を深め、神さまの御心を求めて実行することができるように願っていきたいと思います。次回は怒りと赦しの関係について見ていきましょう。(笠川路人)

怒りと赦しの関係を知る2019年04月14日

互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。              コロサイ人への手紙 3章13節       

 「怒り」と「赦し」には深い関係があります。「怒り」という感情が起こるたびに、私たちは「赦し」という課題に直面します。表面上は、怒りを引き起こした侵害に対して、赦しを宣言しても、心の中には怒りの感情が残ることがあります。もし、私たちが「怒り」という感情に対して、正しく向き合い、「怒り」が引き起こす諸問題を解決したいと願うならば、人間の罪に対する神さまの「赦し」を知る必要があります。神さまの価値を侵害し続けてきた人間に対して、神さまは御子イエス・キリストの十字架の死による贖いを通して、その罪を完全に赦してくださいました。この罪の赦しによって神さまの怒りと裁きから救われることは福音であり、恵みです(ローマ人への手紙5章9節を参照)。そしてこの救いを、信仰をもって受け取った者に対して語られるのが、コロサイ人への手紙3章13節のみことばです。
 「主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。」と言われても、神さまと同じように他人を赦すことは到底できないと思います。特に「怒り」という感情を抱えると、「赦せない」状況が続くのはしばしばです。しかし、覚えるべきことは「赦せない」課題を抱える私たちをも、神さまは赦して下さり、「互いに赦し合いなさい」と励まして下さっている事実です。そして「赦し」はその人を愛することの実践であることを覚える時に、「怒り」という課題を抱える度に、私たちが愛と赦しの実践を深く学ばせて頂く機会になるということです。「怒り」を通して自己理解を深め、「赦し」を通して、他の人を愛するという歩みをさせて頂きましょう。(笠川路人)

家族から受けた影響を知ること2019年04月21日

力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。                 箴言 4章23節       

 バルナバコース第8課は「家族と育った環境、過去の経験の影響を知る」というタイトルで、生まれ育った家族から受けた影響や、過去の経験が私たちの性格や人格の形成にどう関わって来たかについて学びます。「なぜ家族なのか?」と質問される方もおられると思います。前回まで複数回にわたって「怒り」について学んできましたが、「怒り」といった感情がどのようにその人に表れてくるかは、その人自身の気質と同時に、その人が育った家庭環境が大きく影響していることがあります。例えば、私が生まれ育った家庭においては、声を荒げて怒りを表現することは滅多に起こりませんでした。そのような家庭に育ったがゆえに、家庭以外の世界(職場やその他の人間関係)において、怒りを爆発させている場面に遭遇すると、動揺してしまったり、その動揺を表(顔)には出さなくても、後でとても落ち込んだり、心が傷つくようなことが度々あったことを覚えます。逆に「怒り」が表現されない環境に育つと、「怒り」が沈黙や無視といった行動に導き、時には冷笑的な態度に導くことがあります。両親や育った家庭の価値観や行動を引き継いでいたとしても、逆に、反面教師として全く違う価値観を持ち、行動しようと努力してきたとしても、家族や育った環境から受けた影響は大きいと言えます。私自身は「怒り」を面に出さないという家族の文化を長年に渡って、良い気質だと思い込んでいました。しかし、30代を過ぎてから自分の中に押し込めて来た「怒り」が、私の行動や発言に深く影響していることを知り、そこから発生する問題や課題に取り組むようになってから、もう一度自らの育った環境や家族の気質について振り返る時間を持つようになりました。箴言の著者は、「力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。」と語ります。私たちは信仰をもって、自らの心を見張り、見守る責任があり、いのちの泉が私たちの人生の歩みを通して湧き出る祝福を神さまから頂きたいと思います。次回は、私たちの心の中の「水面下を見る」というテーマについて考えます。(笠川路人)

水面下を見ること2019年04月28日

そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。                          ヨハネの福音書 8章32節                                    
 15年ほど前に会社の新卒採用の面接官をしていた時期があったので、今も就職活動中の方々のお手伝いをさせて頂くことがあります。就職活動においては、その人の経験や能力が問われますが、同時にその人の性格や性質(仕事や職場の環境に合っているかどうか)についても質問を通して見ることになります。私たちは年齢を重ねるにつれて、自分の性格や性質はよく分かっていると思いがちですが、自分自身の内側や心の深い部分については実はよく知らないのです。「情緒的に健康な教会を目指して」の著者であるピーター・スキャゼロ師は氷山のたとえを用いて、私たちが知っている自分自身は一部であることを説明します。「私の人生は氷山のようであり、重い部分のほとんどが水面下に隠されているのだ。その部分は確かに水面の下にあるが、私の目に見える生活を支配しているのである。(中略)多くのリーダーが挫折したり、一貫性のない生活をしたりするのは、生活の水面下にある衝動や動機のゆえであるが、誰もその部分に目を留めない(1)。」目に見える氷山はその容積のたった10パーセントであり、水面下に残りの90パーセントが隠れているように、私たちの内面の深い部分も、そのほとんどが水面下に隠されているというのが事実です。
 私たちの心の水面下を見るためにはどうしたらいいでしょうか。日々起こる出来事の中で、自分自身がどのように感じ、反応しているかを注意深く観察することを通して、心の水面下を見るトレーニングを行うことが出来ます。何か心に引っかかる出来事や、失望することがあった時に、「なぜそのことが起こったのか?」「両親や家族が受け継いだ性格や気質がどう関係しているのか?」と考えます。その上で、「神さまはこの出来事に対してどのように考え、私にどのようにあって欲しいと願っておられるか」について祈り、黙想の時間を持ちます。私たちが水面下を見る目的について、スキャゼロ師はこのように語ります。「究極の目的は、私たちのすべて、すなわち自分という氷山の上部も下部も、すべてを福音によって変えていただくところにある。そして最終目標は、私たちがさらに神と人々を深く愛せるものとなることである。(2)」
次回は、旧約聖書が教える家族の影響について見ていきます。(笠川路人)
(1) ピーター・スキャゼロ「情緒的に健康な教会をめざして」(いのちのことば社、2009年)114-115頁
(2)2 同書 125頁