福音書を読む(3)2018年12月16日

ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。                ヨハネの福音書 1章14節         

 神である方が人間になられた。イエス・キリストが人間となられたことを受肉(incarnation)という言葉で表現します。無限である方が、限界のある人間となり、永遠に存在する方が、いつかは「死」を経験する者としてこの世界に誕生されたことは驚くべきことです。福音書を読むと、イエスさまは神としての権威と力の現れである多くの奇跡を行ったと同時に、私たちと何ら変わらない一人の人間としてのご性質も持っておられたことを知ることができます。喜びや悲しみを素直に表現し、時には怒り、さらには友人の死に涙を流されたイエスさま。福音書を読むときに、私たちは人間として歩まれたイエスさまを身近に感じ、人間である私たちに同情し、とりなしてくださるイエスさまの存在を覚えることができます。人間として歩まれたゆえに、イエスさまは私たちの人生の目標となり、行動の規範となります。生涯に渡って罪を犯すことがなく、弟子たちや関わった一人一人に愛を示し、謙遜に仕えられました。「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。」のヨハネの言葉の通り、私たちは福音書を通して、受肉されたイエスさまを間近に感じ、その教えや働きから多くを学ぶことができます。
 イエスさまが人間となり、この世界に来られた究極の目的は、十字架上での身代わりの死をもって、全人類の贖罪(atonement)を成し遂げることでした。この「身代わり」は聖書の中で繰り返し語られるテーマであり、神さまの愛のご性質の現れでもあります。イエスさまが受肉されなければ、十字架の死による贖罪は完了しませんでした。限りある命と身体を持つ人間として生まれたイエスさまは、死の苦しみを経験され、全人類の罪の処罰を身代わりに受けられました。福音書の十字架の箇所から、私たちは何を学び、受け取ることができるでしょうか。それは私たち一人一人を罪の滅びから救い出したいという神さまの大きな愛が注がれた時であり、その使命を全うするために十字架上での死を受け入れられた、イエスさまの謙遜な姿です。この「受肉」と「贖罪」の二つのテーマを持って福音書を読んでいく時に、神さまがイエスさまを通して、私たちに与えて下さったその大きな愛を深く知ることができるのです。     (笠川路人)

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