主の口から出るすべてのもので生きる2017年11月05日

それで主は、あなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナを食べさせられた。それは、人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出るすべてのもので生きる、ということを、あなたにわからせるためであった。                    申命記8章3節 
 
 上記の聖書箇所の後半「人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出るすべてのもので生きる」は、イエスさまの公生涯最初の悪魔からの試みの中で、イエスさまが、旧約聖書から引用している言葉としてとても有名です。
 イエスさまが、四十日四十夜断食した後の空腹の中、悪魔が「あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい」(マタイ4章3節、ルカ4章3節)と試みたのに対して、イエスさまが悪魔に言われた言葉が、「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる」(マタイ4章4節、ルカ4章4節)でした。
 つまりこのお言葉の背景には、イスラエルの荒野での40年間の旅と、その間、天から与えられた食物マナのことが、あるのです。
 イスラエルの民が、四十年という歳月を要しながら、「人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出るすべてのもので生きる」と学び、イエスさまも四十日四十夜の断食を通して、「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる」ことを学んでいることを思う時、私たちがこの真理を学ぶのにも、とてもたくさんの時間が必要であると思わされます。
 あなたが経験している苦しみも、物心両面の飢え渇きも、私たちが、イスラエルの民のように、また救い主イエスさまのように「人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出るすべてのもので生きる」ことを学ぶために必要なプロセスなのです。
 今週も「主の口から出るすべてのもので生きる」日々を歩ませていただきましょう。(吉持日輪生)

共にいてくださる神さま2017年11月12日

あなたは荒野で、どんなにあなたの神、主を怒らせたかを覚えていなさい。忘れてはならない。エジプトの地を出た日から、この所に来るまで、あなたがたは主に逆らいどおしであった。                  申命記9章7節
私があなたがたを知った日から、あなたがたはいつも、主にそむき逆らってきた。                          申命記9章24節 
 
 上記の聖書箇所それぞれの最後は、「あなたがたは主に逆らいどおしであった」(7節)、「あなたがたはいつも、主にそむき逆らってきた」(24節)です。
 このことばに、イスラエルの荒野での40年間が凝縮されています。「主に逆らいどおし」(7節)の40年間であり、「いつも、主にそむき逆らってきた」(24節)40年間でした。
 けれども神さまは、そのようなイスラエルの民を、見捨てることなく、見放すことなく、共に歩み続けられたのです。これが父なる神さまの姿です。
 さて私たちは、どうでしょうか。それぞれの信仰の歩みを振り返る時、イスラエルの民と重なります。私たちも、「主に逆らいどおし」(7節)、「いつも、主にそむき逆らって」(24節)きました。けれども神さまは、そのような私たちを見捨てることなく、見放すことなく、共に歩み続けてくだるのです。
 イエスさまのお言葉を思い出します。「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます」(マタイ28章20節)。出エジプト時代のイスラエルの民と神さまとの歩みを思い返す時、このイエスさまのお言葉も、「主に逆らいどおし」(7節)、「いつも、主にそむき逆らってきた」(24節)あなたがたと「世の終わりまで、いつもともにいます」と読むことができます。
主に逆らうことを知っておられる神さまが、共にいてくださるからこそ、私たちは、そのことに気付かされた時、すぐに神さまの前に出ることができます。
今週も、主に逆らっている自分に気付かされたならば、すぐに神さまの前に出て、悔い改めて、再スタートしていきましょう。(吉持日輪生)

雄大な神さまのご計画2017年11月19日

あなたの先祖たちは七十人でエジプトへ下ったが、今や、あなたの神、主は、あなたを空の星のように多くされた。           申命記10章22節

 上記、申命記10章22節は、短い一節ですが、イスラエルの歴史を思い起こさせます。冒頭の「あなたの先祖たちは七十人でエジプトへ下った」。ここからは、創世記37章から始まる「ヨセフ物語」を思い起こさせます。ヨセフが17歳で奴隷商にエジプトへと売り飛ばされ、13年という年月を経て、エジプトで兄弟たちと再会する感動のストーリーです。
 また上記聖書箇所の後半「主は、あなたを空の星のように多くされた」からは、創世記15章の神さまとアブラハムとの約束「そして、彼を外に連れ出して仰せられた。『さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。』さらに仰せられた。『あなたの子孫はこのようになる。』」(創世記15章5節)を思い出します。そして、ここでの約束通り、アブラハムの子孫は「空の星のように多くされた」(申命記10章22節)のです。
 創世記15章で、神さまがアブラハムに約束してから約600年後、またヤコブ一族70人がエジプトに下って来てからは約400年後のモーセの時代に、アブラハムの子孫は、まさに「空の星のように多く」という約束が現実となったのです。神さまのスケールの大きさを感じます。
 2017年も、終わり近づいているこの時期にあって、一年を振り返り、達成感の乏しさを感じる私にとって、神さまとの約束実現に約600年という歴史が刻まれていることを思う時、遅々として進まない日本宣教も、もっと大きな気持ちで、天の父なる神さまに期待しつつ歩むことが大切なのだと慰められます。
 師走前の気忙しい中にあって、雄大な神さまのご計画に思いを馳せ、その神さまに期待し、焦らずに、その日その日にできることをしっかりと担っていきましょう。(吉持日輪生)

神さまは、日本に目を留めてくださっている2017年11月26日

なぜなら、あなたが、入って行って、所有しようとしている地は、あなたがたが出て来たエジプトの地のようではないからである。あそこでは、野菜畑のように、自分で種を蒔き、自分の力で水をやらなければならなかった。しかし、あなたがたが、渡って行って、所有しようとしている地は、山と谷の地であり、天の雨で潤っている。そこはあなたの神、主が求められる地で、年の初めから年の終わりまで、あなたの神、主が、絶えずその上に目を留めておられる地である。  
申命記11章10~12節

 上記箇所を読みながら、私たちが住む地「日本」はまさに「天の雨で潤っている」地だと思わされました。そして聖書はそのような地に対して「年の初めから年の終わりまで、あなたの神、主が、絶えずその上に目を留めておられる地である」(12節)と表現しています。
 このことから神さまは、日本の地を忘れてはおられないことがわかります。つまり植物の収穫に合わせて雨を降らせて下さる神さまは、この日本に「年の初めから年の終わりまで…目を留めておられる」のです。
 そしてこの箇所をイエスさまが語られた「実りは多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい」(ルカ10章2節)と重ねて読む時、その理解が深まります。冒頭のイエスさまのお言葉「実りは多いが」の理由は、たまたま偶然「実りが多い」のではありません。神さまが、「年の初めから年の終わりまで…絶えずその上に目を留めておられる」からです。時に適った恵みの雨を天から降らせ地を潤していて下さるからです。
 神さまは、私たち日本に対して「年の初めから年の終わりまで…絶えずその上に目を留めておられ」ます。ゆえに「実りが多い」のです。年の終わりが近づく中、私たちの伝道、私たちの宣教、私たちの教会を見て、それを理由に「収穫は多い」と考えるのではなく、「収穫の主」が目を留めてくださっているから「実りは多い」と確信し、「収穫の主」に「収穫のための働き手を送ってくださるように祈り」続けましょう。(吉持日輪生)